城の成り立ちと構造
村上城は標高135メートルの臥牛山(がぎゅうざん)に築かれた平山城です。
江戸時代初期の元和4年(1618)、堀直竒(ほりなおより)によって近世城郭として整備されました。
城下町は、山頂の本丸を中心に二ノ丸・三ノ丸が取り囲む梯郭式(ていかくしき)構造で、さらにその外側を町人町が囲み、四重の土塁と堀を巡らせた惣構えの城下町でした。
山上部は全て石垣で囲まれ、本丸の高台には三層の白亜の天守櫓がそびえ、その美しい姿は「鶴が羽を広げたよう」と称され、舞鶴城(まいづるじょう)の別名でも親しまれました。
主な見どころ
下渡門跡
かつて城下には14の城門がありましたが、現存するのはこの下渡門跡のみ。
桝形の構えは失われたものの、河岸段丘を利用した深い堀跡と石垣が残り、当時の防御構造を今に伝えます。
四ツ門
東西南北に扉を持つ、全国的にも珍しい構造の城門。
三ノ丸の調練場に面し、矢櫓・玉櫓・武器蔵が並んでいました。
北西隅にあった靫(弓矢)櫓の下には、中世の竪堀が深く掘られています。
千貫丸井戸
戦国時代、本庄繁長(ほんじょうしげなが)が上杉謙信に反旗を翻し、一年に及ぶ籠城戦を支えたのがこの井戸です。江戸期に石垣で改修され、現在も清水が湧き出ています。
竪堀
お城山には中世の竪堀が8本ほど残っています。
斜面を垂直に掘り下げ、敵兵の横移動を妨げ、上部から一斉射撃を行うための防御施設でした。
中でも、西側三ノ丸端と東側本丸下の竪堀は最大規模で、深さ8メートル・長さ100メートルを超えます。
鐘御門
松平直矩(まつだいらなおのり)の時代に築かれた桝形門で、切込みハギ・布目積み・算木積みなど、石工技術の粋を見ることができます。
門上には鐘撞堂がありましたが、享保2年(1717)の落雷で焼失しました。
現在も礎石の溝が明瞭に残り、往時を偲ばせます。
出櫓と本丸高石垣
村上城を代表する絶景ポイント。
馬の背のような細道に沿って出櫓と高石垣が並び、ここでの一斉射撃により敵を防ぐ構造でした。現在も黒門付近で石垣の復旧工事が続けられています。
冠木門と鏡石
本丸郭への最後の防御門。礎石には門柱や城壁を支えた痕跡が明確に残っています。
正面の石垣にある鏡石は、臥牛山の岩盤をそのまま利用した巨大な一枚岩で、城主の威厳を象徴する存在です。
本丸郭と天守台
かつて三層の天守櫓が建っていましたが、寛文7年(1667)の落雷で焼失。
石垣には今も焼け跡と見られる黒ずみが残っています。
現在、天守台に日の丸の掲揚塔は、村上ゆかりである皇后陛下のご息女・愛子内親王殿下のご誕生を記念して平成13年に寄贈したものです。
天守台からの眺望
山頂からは城下町と日本海が一望でき、晴れた日には粟島や佐渡島、遠く会津磐梯山まで見渡せます。眼下を流れる三面川や朝日連峰の山並みが織りなす景観は、まさに“山紫水明の地”です。
