村上城は、新潟県村上市の臥牛山(当地ではお城山と呼び親しまれています。)の山頂、標高135mに築かれた梯郭式の平山城で、別名に舞鶴城や本庄城とも呼ばれてきました。築城年代は明確ではありませんが、16世紀前半には城が存在していたと考えられています。現在では建物は残らないものの、石垣や土塁などの当時を偲ばせる遺構が良好に遺されています。
戦国期には揚北衆・本庄氏の本拠として機能し、永禄11年(1568)には上杉謙信との籠城戦が展開されました。以後も度重なる戦いの舞台となり、北越後の要衝として重要視されました。
江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏ら歴代城主により近世城郭への大改修と城下町整備が進み、北越後の政治・軍事・交通の中核として整備されました。堀氏の時代には三重天守が築かれ、城地と町割の骨格が完成します。その後、寛文7年(1667)の落雷で天守等が焼失し、以後再建されませんでした。
その後も城主交代を経て、享保5年以後は内藤氏が城主となり、以後、100年以上に渡って当地を治めました。明治初期の廃城・破却を経て、石垣の一部は市中にも転用されました。
現在、城跡一帯には戦国期の竪堀・虎口などの土の遺構と、江戸期の石垣遺構が渾然一体となって残り、その学術的価値が高く評価され、平成5年(1993)に国の史跡に指定、現在でも保存のための整備事業が進められています。
年表(抜粋)
1509年(永正6) 村上の地名の初見(耕雲寺
16世紀前半 本庄氏が築城(本庄城)とされる。
1568(永禄11) 上杉謙信との籠城戦。
1598(慶長3) 村上頼勝が入城、近世城郭化を開始。
1619(元和5) 堀直寄の時代に改修がほぼ完成、城下町も整備。
1667(寛文7) 落雷で天守等焼失、以後再建されず。
享保5年以後 内藤氏が歴代城主に。
1993(平成5) 国史跡「村上城跡」に指定。